<随筆 2006> <その1> <その2> <その3> <その4> <その5> <その6> <その7>

福井久代

                 ふるさと

ふるさとを広辞苑でみますと、生まれ育った所、かつて住んだことのある所、馴染み深い所等となっています。私の持つ故郷感は、懐かしく、温かく、生命の洗濯が出来るところですが、『故郷は遠きにありて思うもの〜』の詩のように、赤貧洗うが如き生活を強いられて、やむなくふるさとを捨てた人もいると思います。幸いなことに、主人のふるさと徳之島は、主人が生まれ育ち今でも兄夫婦がいて、親類縁者が沢山いて、いつでも温かく迎えてくれる所ですし、私のふるさとは、6歳の時に満州から引き揚げて来て6年間住んだ大分の母の実家であり、今でも叔父がいて従兄弟達がいて、こちらも又いつでも温かく迎えてくれる所です。ところが、結婚して13年、日本に住み、それから11年シカゴに住み、(多分、一番多感な小、中、高校時代をシカゴで過ごした娘達にとって、ここがふるさとのはずですが、今は、親も親戚も住んでなく、友人宅に泊めてもらって、恩師を訪ね、住んでいた家を見て来たというだけの所になっています)ダラスに来て15年という生活をしている私達には、娘達に故郷を残してやれなかったとの思いがありました。しかし、これは、杞憂に過ぎなかったことが分かりました。この7月7日に、主人の父の13回忌の法要があり、我々と三人の娘夫婦が全員で徳之島に帰りました。実家に着いて、神棚、仏壇に手を合わせて帰宅の報告をした後、ムイシュ(盛り塩)といって、昔は母が、今は兄嫁が、山盛りの塩と昆布とするめを盛ったお盆を神棚からおろし、お神酒を頂き、昆布とするめに塩をつけて、一人一人手にのせてくれて、これを頂きます。(お帰りなさい)という意味ですが、島を出る時も同じムイシュをして、無事に旅が出来るようにと清めてもらいます。明治36年生れの主人の父が勉学の為に鹿児島に渡った頃は、水杯だったそうです。                                                           徳之島は“神々が宿る島”と言われていますが、神と自然と人間が一体となって作り出したような独特の文化があります。                                                                 ワァーと地面から沸いてきて大きく包んでくれるような温かさがあり、島の人全部が親戚のような親しみがあって、真に心も体もリラックス出来る所なのです。まばゆい太陽に抜けるような青空、さんご礁のきれいな海、年中基幹作物のサトウキビの緑の葉がゆれる畑、ハイビスカスやブーゲンビリアにいたるまで、方々に咲いていて歓迎してくれます。                               「わぁ、熟れたパパイヤが生っている!」と大声をあげて眺めていると、「とってあげるからちょっと待ってなさい」「頂いてもいいのですか?」「家のではないけれど、ちょうどよく熟れているから食べていきなさい」と知らないおばさんが、他家のパパイヤをはしごをかけてとってきて、その場で切ってくれる。その美味しいこと。満面笑みを浮かべて、ほおばる私達をみて、「そんなにおいしいの?もうじき、あれが食べられるよ。」とまた、他所の木を指差して言ってくれるのです。他家のパパイヤの熟れ頃まで知っているように、隣の部落の00家の次男はどこで、何をしているかということが、みんな分かっていて、帰って来ると、わが子のように喜んで迎えてくれます。戦後8年間日本復帰が出来ず、台風銀座のこの島の学校は、かやぶきの掘っ立て小屋が教室だったそうですが、「子供達にはしっかり学問させなくては!」と義父は、無償で教壇に立ったと聞いています。このようなことから、一層一体感が強いのかもしれません。                   「海がきれい!」「この狭い道路すてきね!」と歓声をあげる娘達をながめて、長老各の人は、「そんなに島が好きなら、いつでも帰っておいでよ。いつでも待っているからね。」と慈しみの目で言って下さるのです。                                                                 私達が海に行った日、地元の高校生がごみ拾いをしていました。定期的にお掃除しているそうで、ごみ一つない海岸で遊び、蘇鉄トンネルを通り、120歳で亡くなった世界一長寿の泉重千代さんの生家を見て、三女の婿の母(アメリカ人)は、「私がこんなにおさしみが食べられると思わなかったわ」と言うほど、海の幸を頂くという数日間でした。                                   徳之島は神仏混合で家では、仏壇に向って神官様が祝詞をあげます。お葬式だけでなく、法事のたびに、神官様がお墓で祝詞をあげた後、参列者は、お焼香ではなく榊を供えます。そして、お墓の周りにみんな座って、亡くなった方と一緒にご馳走をいただきます。このご馳走には、厚く切った三枚肉を美味しく煮込んだものが必需品で豚肉が欠かせないそうです。この日はあまりにも暑かったので、お墓のすぐ下の公民館に席を移して、飲んだり、食べたりとなりました。             ゆったりと流れた数日間が終り、盛大に手を振ってもらって機上の人となりましたが、娘達は「生命の洗濯ができたわね」と話しており、今は転勤で県内を移動していますが、主人の甥がいずれは島に帰る予定でいてくれて、娘達のふるさとは安泰です。

次回は山口猛さんの随筆に決まりました。山口さん、ありがとうございます。